かわさきPEOPLE かわさきPEOPLE

03 03

〜オープニングセッション〜
これまでの100年、これからの100年。好きがあふれる川崎へ!

2024年の市制100周年に向けて、川崎のブランドメッセージである「Colors,Future!いろいろって、未来。」のもと、行政・市民・企業・団体等が共に新しい川崎を考えていく
まちづくりイベント『Colors,Future!Summit 2023』を開催。川崎に縁のある方々や有識者を招き、2日間のカンファレンスのオープニングセッションを行いました。

  • 福田紀彦(川崎市長)

    福田紀彦
    (川崎市長)

    1972年4月20日生。川崎市立長沢小学校、長沢中学校卒業後、渡米。米国アトランタマッキントッシュハイスクール卒業。米国ファーマン大学(Furman Univ.) 政治学専攻(B.A. Political Science.)卒業。衆議院議員 秘書や神奈川県議員議員、神奈川県知事秘書、早稲田大学マニフェスト研究所客員研究員を経て、2013年より川崎市長就任。

  • 房広治(GVE CEO)

    房広治
    (GVE CEO)

    1959年生まれ兵庫県出身。早稲田大学理工学部卒。オックスフォード大学特別戦略アドバイザー(小児学部)、アストン大学サイバーセキュリティイノベーションセンター教授。主に発展途上国に向けて、中央銀行発行の法定デジタル通貨(CBDC)のプラットフォーム開発を手掛けるGVEのCEOを務める。

  • ハシヤスメ・アツコ(タレント)

    ハシヤスメ・アツコ
    (タレント)

    東京都出身。2015年8月よりBiSHのメンバーとして、欠かせないムードメーカーとして活躍。BiSHは2023年6月29日に東京ドームにて惜しまれつつも解散。2005年から2009年まで行われた新人発掘オーディション「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に5回応募してすべて落選した経歴を持っているが、夢を叶えて現在ホリプロ所属タレントとなる。

  • 中西哲生(スポーツジャーナリスト/アドバイザー)

    中西哲生
    (スポーツジャーナリスト/アドバイザー)

    1969年生まれ愛知県出身。 同志社大学を経て、1992年に名古屋グランパスエイトへ入団。 1995年には、アーセン・ベンゲル監督の下で天皇杯優勝。 1997年当時JFLだった川崎フロンターレへ移籍。1999年には主将としてJ2初優勝、 J1昇格に貢献、2000年末をもって現役を引退。筑波大学蹴球部及び同志社大学サッカー部テクニカルアドバイザー。

  • 三浦宗丈(Colors,Future!Summit2023ジェネラル・プロデューサー)

    三浦宗丈
    (Colors,Future!Summit2023ジェネラル・プロデューサー)

    1978年生まれ。ブランドの課題解決ではなく、可能性創造をリードするブランドエンジニアリングスタジオ EVERY DAY IS THE DAYのプロジェクトデザイナー、クリエイティブディレクター。2016年、川崎市のブランドメッセージ「Colors , Future!いろいろって、未来。」を開発以降、市の様々なブランドプロジェクトに従事。川崎市在住、2児のパパ。

市制100周年、川崎のこれまでを振り返る。

ーいよいよ幕を開けた『Colors,Future!Summit 2023』。2日間にわたるカンファレンスの始まりとして、本イベントの趣旨や市制100周年に対する思いを語っていただきました。

中西:

三浦さん、本日はよろしくお願いします。オープニングセッションに入る前に、まずは本イベント全体について簡単にご説明いただけますか?

三浦:

こちらこそよろしくお願いします。このサミットは、川崎が2024年に市制100周年を迎えるに当たり、次の100年を描くためのまちづくりイベントです。行政が主導するのではなく、市民の方や企業、団体など、川崎に関わる方々と一緒に盛り上げたいという声が、市長をはじめ川崎市役所の皆さんから多く上がった背景があり、本イベントの開催が決まりました。ダイバーシティやアートなど、多様なテーマで計19のセッションを行う予定です。さまざまな視点から、次の100年に向けた有意義な議論ができれば嬉しいです。

中西:

ありがとうございます。早速、オープニングセッションに移りましょう。ご登壇いただくのは、川崎市長である福田紀彦様、房広治様、ハシヤスメ・アツコ様です。

三浦:

本セッションでは、川崎のこれまでの100年とこれからの100年についてお話しできればと思います。

中西:

皆さんは、市制100周年に対してどのようなお気持ちを持っていらっしゃいますか?

福田:

いよいよ100年なんだという重みを感じると同時に、大きな嬉しさもあります。というのも実は私、川崎が政令指令都市になった年に生まれたんです。川崎と一緒に成長してきた感覚があるので、市制100周年と聞くと、なんだか感慨深い気持ちになります。思い入れがあるからこそ、先ほどご紹介があったように、皆で川崎について改めて知り、もっと好きになっていく100周年にしたいと考えています。

房:

私は普段、イギリスのオックスフォードという都市に住んでおりまして、1000年以上前に建てられた家で暮らしています。人間からすれば100年は途方もなく長く見えますが、建造物や地域の歴史からすると、ほんのわずかな時間に過ぎないわけです。だからこそ、これからの100年を考えることはとても大切だと思いますし、理想の100年を実現するための一助を担いたいです。

ハシヤスメ:

私は以前羽田空港でアルバイトをしていたことがあり、よく川崎に遊びに来ていたので、この街には思い出がたくさんあります。そんな大切な街が100周年を迎えるに当たって、このイベントに呼んでいただけたのがとても嬉しいです。

福田:

こうして皆さんからコメントいただくと、川崎がいかに多くの方に愛されているかが伝わってきます。「川崎市」ができた当時、市の人口は4万8000人ほどだったそうなんですが、今は154万人ほどまで増えています。この100年間で30倍以上に増えているということ。その背景には、市域が広がってきたことや、他の地域から多くの方が移り住んだという歴史があります。先日、敬老の日に老人ホームにお邪魔したんですが、生まれながら川崎出身という方はほぼいらっしゃらなかったです。つまり川崎の100年間は、多様性の100年間でもあったということ。「Colors,Future!」というブランドメッセージにもあるように、川崎は1色ではないんです。さまざまな色を掛け合わせて、無限の色をつくっていく。そんな地域であり続けたいと考えています。

房:

4万8000人から154万人ですか!そこまで成長してきたとは素晴らしいですね。この多様性を持続させるために、若い方をはじめ、多種多様な方が訪れる街であり続けてほしいですね。そのためには、コミュニティをつくり、小さな単位でまちづくりをしていくことが大切なのかなと思います。

川崎の100年間の資産をどう活かすか。

ー川崎の100年間を振り返る中で、川崎ならではの魅力や、これまで築いてきた資産について話し合うことに。

中西:

川崎といえば、市民たちの憩いの場でもある多摩川が流れているのが特徴ですよね。

福田:

そうですね。川崎の背骨とも言えるかもしれません。それほど、市民にとって多摩川は思い入れがあるものでして、この100年の歴史を一緒につくってきた存在だと思います。100年前は多くの方々が川泳ぎをして楽しんでいたそうですが、50年ほど前は水害問題で洗剤の泡が立つほど汚れてしまっていた。このままではいけないと、多くの方々の努力があり、ここ最近ではアユが1000万匹ほど帰ってくるような川に生まれ変わったんです。綺麗な川であり続けてほしいという思いで、今も毎年3万人以上が集まって多摩川のゴミ拾い活動を行っています。

ハシヤスメ:

私も川遊びをしたり電車から多摩川を眺めたりした思い出があるので、多摩川には愛着がありますね。川崎に来る機会がなくても、多摩川を見ると川崎での思い出がよみがえります。

三浦:

こうしたお話を聞くと、多摩川をはじめ、川崎のこれまでの資産をどう遺すのか、どう活かしていくのかという視点を持つことが大切なんだなと痛感します。まちづくりをする上で、新しいものを生み出していくことももちろん大切ですが、今あるものを大切にする姿勢を持ち続けたいですね。

福田:

おっしゃるとおり、今後生まれてくる子どもたちのためにも、今ある資産をもっと活用していきたいです。多摩川以外にも、川崎には羽田空港とインターチェンジの2つがインフラとして近くに存在しています。実は今年、「川崎宿」という宿場町ができてから400周年なんです。400年以上前から、人々が行き交う場所であり続けたということ。そのDNAを引き継ぎ、日本の東西を結ぶ場所としての魅力も広げていきたいと考えています。

房:

川崎にはまだまだ魅力を活かしきれていない資産も多いため、ポテンシャルがありますよね。ここ数十年で、住みやすい街としてどんどん変化してきているので、川崎は今後より魅力的になっていくのだろうと思います。

中西:

ここまで、川崎の南側をメインに話してきましたが、北側についてはいかがでしょう。

福田:

北区は、実はこの100年間でものすごく入れ替わっているんです。特に、ちょうど50年ほど前にまちづくりが進められ、ベッドタウンとして数々の整備が行われてきた。私の両親も、その頃に川崎に移り住んできた世代です。それから50年が経った今、さらに住みやすい地域にするため、もう一度リニューアルしたいと考えています。

房:

建物は30年、長くても50年ほどで劣化が進んでしまうので、100年、もっといえば1000年続くまちづくりを考えることができれば、ものすごく魅力的な地域になるのではないでしょうか。

川崎のここが「好き」。川崎の魅力を語り合う。

ー次のトークテーマは、川崎の好きなところについて。登壇者それぞれが思う魅力を語っていただきました。

中西:

やっぱり「等々力」ですかね。私は1997年に川崎フロンターレに移籍してきたのですが、その当時は知名度がゼロと言っても過言ではなかったんです。等々力で試合をする際は、スタジアムに3000人入れば良い方だった。それが今や、2万人以上の方にお越しいただけるようになり、感謝の気持ちでいっぱいです。

ハシヤスメ:

私は、大型ライブホールの「川崎クラブチッタ」です。BiSHという音楽グループにいたころ、川崎クラブチッタで何度もライブをさせていただきました。周辺に数多くの音楽ショップがあり、なんて音楽が栄えている街なんだと思ったのを覚えています。

福田:

今、川崎ではカルチャーを盛り上げようと力を入れているので、そう言っていただけると嬉しいです。他にも、ダンスやスケートボートなど、ストリートカルチャーを推しているんです。

三浦:

私は、川崎の「ニュートラル」なところが好きです。交通網が発展していてどこにもいけるというニュートラルさと、色々な意見が尊重されて適度な距離感で過ごせるニュートラルさを感じるんです。それは先ほど福田市長が仰っていたとおり、川崎には多様性の歴史があるからこそなんだろうなと思います。

房:

私は「ハイテク」が魅力だと思います。先ほど中西さんがおっしゃったとおり、名もなきサッカーチームが急成長してきたノウハウもあるし、羽田空港との距離が近いという土壌もある。東芝未来科学館もあり、新しい技術を生み出し続けている。こうした特性を活かし、川崎が日本の各地域・技術をつなげるハブとなることで、新たなイノベーションを生み出していけるのではないかと思います。

福田:

実は首都圏で最も大きなインキュベーション施設が新川崎にできまして、一昨年アジアで初めての量子コンピュータが入ったばかりなんです。ですので、房さんがおっしゃったとおり、貨物や人などのハブだったのが、今後は「知」のハブになっていくのだろうと考えています。

中西:

さあ、ラストになりますが、福田市長の川崎の好きなところも教えてください!

福田:

僕は川崎の「人柄がウェット」なところが好きです。それも、適度にウェットなんですよね。外から来る人にも、中の人にもやさしい。そしてもう一つ、場所としては「生田緑地」が好きです。子どもの頃、50円玉を握りしめて生田緑地のプラネタリウムに通っていた経験がありまして、豊かな自然の中で過ごすのがとても楽しかったんです。川崎に対して工業都市のイメージを持っている方も多いかもしれませんが、生田緑地のような緑あふれる場所もある。そうした面も今後はより強く発信していきたいです。

川崎の、次の100年を考える。

ー最後のトークテーマでは、川崎の未来について盛り上がりました。

中西:

福田市長、次の100年に向けてどのようなことを考えていらっしゃいますか?

福田:

脱炭素をしながら、街の持続的な発展に変えていく。それが、重化学工業で栄えてきた川崎が今後取り組んでいくべき課題の一つだと思います。ただ、ものづくりの視点を失い、脱炭素にとらわれてしまってはいけません。あくまでこれまでの100年の歩みを尊重した上で、安心して過ごせる未来のために尽力していきたいと考えています。日本の脱炭素は川崎から始まったと呼ばれるような取り組みをしていきたいですね。

三浦:

子どもの将来を考えたときに、やはり環境問題は気になります。我々の世代は逃げ切れても、子どもたちの世代は逃げ切れない。そうした社会課題を解決していくためには「共創」が必要不可欠です。社会が急速に変化する今、意思決定のプロセスを迅速に行うためには、多様な主体がつながり視点をかけあわせることが大切だと思うのです。行政と民間がタッグを組み、市民の声を取り入れていく。そうしたスキームを作っていきたいですね。

福田:

むしろ、共創なくして社会課題は解決できないと思います。実際、先日バスの自動運転の社会実験をしたんですが、技術開発をしてくれた研究者や大学、バスを提供してくれたバス会社、行政のプロジェクトチームなど、数多くの方の協力があったからこそ迅速に進めることができました。川崎の強みは、変化に対して一歩踏み出す勇気があることだと思うので、次の100年に向けてもチャレンジ精神を大切にし続けたいです。

房:

バブル時代までは、そのチャレンジ精神があったからこそ日本は急成長できたのだと思います。しかしバブル崩壊後は、どの地域でもリスク回避ばかり優先されるようになってしまった。一方で川崎はチャレンジ精神を持ち続けてきたので、川崎の成功が重なれば、日本全体を変える可能性も含んでいると思います。

ハシヤスメ:

こうして未来への思いを聞いていると、川崎は今後もっともっと素敵な街になっていくんだろうと感じます。市民に強制的に参加させるのではなく、一緒に面白くしていこうよという気持ちが強いんだろうなと。こうした魅力を多くの人に知っていただくためにも、より多くの人々が集まる地域になっていくといいなと思いました。その一つとして、個人的にはフェスなど音楽イベントを開催していただきたいです。一度足を運べば、きっと皆さん川崎を好きになってくれると思います。

房:

そうですね。今回、参加させていただき本当によかったです。皆さんのお話を聞いて気づきを得たのはもちろん、福田市長の考え方に触れて衝撃を受けましたね。日本にもこんなに素敵な政治家がいたのか、まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思いました。

ハシヤスメ:

正直、慣れ親しんだ川崎を離れて以来現状を知らずにいたのですが、今日のお話を聞いて、やっぱり魅力的な街だなと安心しました。また、この街だったら、自分の意見を伝えてみたら実現するかもしれないという希望も持てました。今後の川崎は要チェックですね。目が離せない地域であり続けると思います。

福田:

改めてにはなりますが、川崎は今年で99年目、来年で100周年を迎えます。何度もお話ししたとおり、行政のお祭りごとではなく、川崎に縁のある一人ひとりが「川崎っていいな、好きだな」と思っていただける100周年にしたいと考えています。そのために、多くの方々が参加できる取り組みをしていきたいですし、今日のオープニングセッションは、最高のスタートを切れたのではないかと思います。

BACK

NEXT